2011年4月2日土曜日

人の本質は善

私はそう思っています。

最初にこの言葉を意識したのはたぶん5〜6年前でしょうか。
「アンネの日記」を見たときからです。

本当はね。人は皆優しいのではないかと私も思うのですよ。私もね。
でもその優しさを他者に示すことを阻む要素が世界には多すぎると思います。

宗教然り。
イデオロギー然り。
様々なプロパガンダ然り。

本当は誰に対しても優しく接したいのに、様々な社会的要素が絡んで優しく出来ない。
そのようなことは数多あると思います。

最近よく考えるのですが、「優しく接することが出来ない」「分かり合えない」とか悩む根底にあるものって上記を除くと何だろうと。
これは全く以て私見ですが「善意の交錯」なのではないかと思います。

例えば。。。。

Aさん:Bさんのために善かれと熟考したことを本人に伝える。
Bさん:「は?? 超余計なお世話!!」

もし私がAさんなら。
この瞬間に「思いやり」が「遺恨」に変わりますね。

自分の善意を分かって欲しい。でも分かってもらえない。
そんな葛藤が「遺恨」に化けてしまうのではないかな?

そういうことが複雑に絡み合って、世の中訳分からなくなっているのではないかと考えるときがあります。

でもね。
なかなか難しいことだと思うのですが、相手の発する言葉を「善意から発してくれている」と考え、受け止めると思考が楽に落ち着くことが最近よくあります。
これは最近読んだ小説内での思考の受け売りですが、とても好きな思考です。
ま、自分の役得ずくだけで言葉を発する人もたまに居ますがね(^^;)
例えば何か悩んでいるときにこのように考えると、自分の凝り固まった考えに気づき、視野が広がって、より良い答えを導くことが出来る!!(こともある・・・?)

何が言いたいのか分からなくなってきたので、この辺りにしますが
私もアンネ・フランクのように「人の本質は善」と信じたいのです。

そして、その「善」が一人でも多くの人に幸せをもたらすことを祈っていますし、それを実践できる人に成長したいと思います。



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