2010年6月28日月曜日

三十路中盤の悩み

またやってきましたね、月曜日。

気が付けば田植えが遅い自宅付近も、稲がだいぶ育っていて、水路には水が滔々と流れ、カエルも盛り上がる季節になっていました。

最近やたら「気がつけば・・・」とか「そう言われてみると・・・」とか感じる事が多い気がします。
原因は「仕事の忙しさ」しかないと思います。

今の職場に来て満3年が経ち、片道2時間の通勤にも仕事内容にも慣れました。
しかし、この3年の間に長女はとんでもない「じゃじゃ馬」に成長し、2人目挑んだら双子が産まれて、まもなく1歳。
誰が大変て!?
カミさんですよ。
もっと手助けをしてあげたいのですが、出来ることと言えば毎日のゴミ捨て、休日に子供達と全力で遊ぶこと、休日に料理すること。
それくらいしか出来ない。

川越に引っ越すという選択肢もあるけど、中途半端に長男なものでね。。
病気の母と、それを文句ばっか言いながらも支え続けている父のそばから離れるのもね。
何か思い切ることができません。

仕事は日本全国飛び回れるし、自分が病院勤務で積み上げてきた経験が売り物になることに対して大いに価値を感じてます。
でもね。
やはり私は病院というか現場が好きのようです。
新規開業のときは必ず現場に行って、業務指導とか運用提案とかしてくる訳ですが、、、
それぞれの現場を後にするとき寂しさにも似た「いいなぁ〜」という感覚にとらわれます。

現在、過去に経験したことのない忙しさとプレッシャーの中で仕事をしています。
それを放棄しようなどとは全く思いません。

でもね。1番避けたい、というかそうなりたく無いと思うのは冒頭のように「気がついたら子供達が大きくなっていた」という状態です。

色んなことを総合して考えると、今の仕事での修羅場を完全に乗り越えたら、地元に腰を据えたいと思います。
どこか地元の病院での再就職を探そうと思います。
病院勤務での経験を今の職場で活かせたように、その逆もあるのではないかと思います。

まだ誰にも話していませんが、ここで宣言することによって気持ちの踏ん切りをつけたかったのです。
家族と過ごせる時間をもっともっと持ちたいというのが1番の理由だろうと思います。

たった一度の人生。
良い意味で「つっぱらかって」行きたいものです。



2010年6月25日金曜日

嬉しい大誤算

とは日本代表の決勝進出の事でしょう!?やっぱ。

よくぞやってくれました!!
全くもって予想していなかったもの。

岡田監督も言っていましたが本当に誇らしく思いますね。




さて、今回Kちゃんとアコさんと予想をした訳ですが・・・

【K】

1アルゼンチン

2ブラジル

3スペイン


【アコ】

スペイン

アルゼンチン

オランダ


【私】

オランダ

アルゼンチン

ポルトガル


と、今のところみな順調です。

ちなみに以下は私の決勝進出予想ですが・・・

フランス=逝

ナイジェリア=逝

アメリカ

セルビア=逝

オランダ

スロバキア

ブラジル

チリ

アルゼンチン

ウルグアイ

ドイツ

イングランド

イタリア=逝

カメルーン=

スペイン=三途の川手前

ポルトガル 


って感じです。

スペインが逝くとかなり私が有利ですが、それはそれで寂しい気もします。

まだまだ楽しみたいですね!!



2010年6月21日月曜日

父の日


昨日、父の日は(も!!)仕事だったのですが、朝起きたら長女ちゃんが
「おと〜さん!いつもありがとう!!わたしがえらんだの!!」って派手な
Tシャツをくれました(^-^)
「ビールもあるの!」って台所にはプレミアムモルツが1ケースも!!

仕事行かずにTシャツ着て朝からビール飲みたかったよね、そりゃあ。

子供達にも感謝してますが、カミサンに対して心から感謝です。
私はと言えば、朝は早くに出て夜は早くて10時帰宅。
その間ずっと3人の子供達を世話するのは、さぞかし大変なことだと思うし、尊敬しているよ!!

もうひと頑張りすれば気狂い染みた忙しさから解放されますから、みんなでどっか旅行でも行くべえや!!
それを楽しみにお父さん頑張るぞ!!

2010年6月14日月曜日

おかえりなさい はやぶさ 

昨夜、それはそれは長い旅を終えて帰って来てくれましたね!

去年あたりからちょくちょくチェックしていましたが、世界的な偉業を達成してくれて嬉しい気持ちと、寂しい気持ちと半々ですね。

とんでもないトラブルを幾つも乗り越えて、宇宙を60億キロも旅しながらも、けなげに故郷を目指して帰ってきた。
そして最期は流れ星と化したわけですが、、、

流れ星と化す前に送ってきてくれた地球の写真もいいですよね。
満身創痍ながらも最後まで頑張ったんだなと痛感します。
画像は荒れてますが、人類史上で一番価値のある地球の写真だと思います。

何故かこの写真を見て涙が溢れました。
はやぶさに「おかえりなさい!ありがとう!!」と伝えたいです。

2010年6月11日金曜日

地獄の一夜 その5(完)

どこまで書いたか・・・・・??

追いつめられたとこまででしたね。


私たちは車から降りてくるツブシの襲撃に備えてました。
この夜一番の緊張だったと記憶してますね。。

車のドアが開いて案の定、怒声を吐きながらこちらへ駆け寄って来るは・・・・・・


先輩でした。
走り屋の...........(-_-メ)

先輩:「な〜に必死こいて逃げてんだよぉ、オメーラ!!」

私ら:「(言うまでもなく引きつった笑顔で)な、な〜んだ!
あんまビビらせないで下さいよぉ〜、、 あはは」

その日はたまたま友達の車借りてたんだとか、、、
どーりで私ら逃げる先が分かってるわけだよ。。
誰もが心の中で思ってたよね。。

「殺すゾ!?」って。

結局また津古久に戻って走り直しました。
何時になってたのか覚えてないけど、空は白んできてたな。

気も済んだので津古久を後にし、家路に着きました。

とは言え、帰るのは皆して海老名だから途中の246は鬼ごっこみたいに追っ駆けあって帰るんです。
いっつもね。
無事に帰れた〜っていう安堵感と、皆で夜通し過ごしたあとで一人になる瞬間の寂しさを感じる時間でしたね。


まだ厚木市内だったと思うが、信号待ちしてたら、背後に再びの回転灯が!
皆、一寸の迷いも無くフルアクセル!!

追っては来ましたがね。
帰り道をいつもより「ちょっとだけ」急いで帰りました。
皆それぞれ246を自宅近くで降り、誰もリタイアせずに地獄の一夜を終えました。



あれから17〜18年が経ちました。
偶然にも昨日、撃たれそうになったTっちからメールがありました。
「今度の日曜、6月13日に皆で集まって飲むべえ!!」
今年はTっちが幹事なんだね。

実はTっちが撃たれたら血を浴びてしまうとこだったHロシは、あの一夜から半年くらいだったのか、、?
6月13日に17歳で天国へ行ってしまいました。

毎年6月13日は私たちにとって特別な日です。

Hロシ!!
俺が事故って生きるか死ぬかのとき。
何とか命が繋がったものの心身ともに辛かったとき。
毎日仕事帰りに病院寄ってくれたなぁ!?
マジでありがたかったし、嬉しかったよ。
何も出来なかったじゃん。俺。
でもお前の分まで頑張るかんな!!
それしかできねーしな、俺。


相当大バカな昔話ですが、色々と思い出して楽しかった。
願くば、こんなことでもHロシの供養になればと思います。

駄文にお付き合い頂いた皆様。
ありがとう!
ていうか リスペクト!!

2010年6月9日水曜日

復活!!また会いましょうツアー 第二弾

こないだの日曜は二週間ぶりの休みでした。
で、土曜に仕事を終えて家族を迎えに一路鹿島へ、、、

のつもりだったのですが、隣の神栖のとある大邸宅へ。
溜まった精神的な疲れを癒すには友との酒が一番だからね。
旧友同士の夫婦であるKY爺&ナシエさんファミリーを襲撃しました!

例によって22時頃に着き、そっから酒。

例によって何話したかもろくすっぽ覚えてないが、ナシエさんにもお付き合い頂いて、懐かしいし楽しい酒でした(^-^)


前週同日、横須賀にて4時まで飲んで翌日辛かった教訓を活かし、3時くらいに寝たのを覚えてる。


朝はKY爺と長男どのを交えてキャッチボール!
久々に陽の光を浴びましたよ。

中華料理店のマスターである親父さんとお袋さんにも久々に再会でき、これまた嬉しかったな。
鹿島時代の恩人ですからね。
お土産にお店の餃子を頂きました!
久々だったけど、やっぱ旨かった!!

今の自分は数々の恩人達に助けもらい、支えられて成り立っているんだなと再認識できました。
今回もまたステキなツアーでした。


私を知る皆様方。
また会いましょう!!

2010年6月4日金曜日

地獄の一夜 その4

再びの412を南へ下り、津古久へ入った。
もう4時くらいだったかな!?

さすがに他の走り屋たちもまばらで、「祭りのあと」って感じでしたね。

「ちっとだけ走って帰んべ!」

で、各々勝手知ったるホームを攻めてたんですね。

したら、フルスモークでシャコタンのY30(要は昔のセドリック)がライト上向きでハザード炊きながら追ってくる!!!
典型的な「ツブシ」だ。

「ツブシ」とは、右翼とかチンピラによる、族や走り屋に対する妨害行為とでも言うのか!?
バイクで走ってる奴らに車内から木刀・バット・鉄パイプ等で襲いかかったり、コケさせたり、消火器ブッ放したりする奴ら。
もちろん捕まったら集団でボコられる。

でも大抵は逃げられるんです。
皆慣れたもんで、ツブシに追われたときの経路は決まっててね。
細い道を縫うように逃げて撒くわけです。

が!!!!!

なぜかこのツブシ、俺らの逃げる道を読んでるかのごとく追って来て、しかも速い!!!

さすがにヤベえなと思いつつ、普段は逃げ込まない道まで来ちゃったんだな。
何か団地みたいなとこでね。

したら行き止まりにブチ当たっちゃったんだな。。。
「やべ。。。死んだ」と誰もが思ったろうな。

こうなりゃ、やるしかねえと皆で単車から降りて、ツブシの連中が車から降りて来るのを待った・・・・・・・

<続く>

2010年6月3日木曜日

地獄の一夜 その3

どこまで書いたっけ・・・・・?


そう。

私たちはコンビニで休んでいただけなのですよ・・・



遠くから暴走族顔負けの爆音が。。
いや!轟音が・・・

「ガロロロロロロロロん〜〜〜ッ
ガロン!!!!!
ガロンんんんん〜〜〜〜ッ」って、超いかついアメ車が私たちの前に。。。

降りて来たのがこれまた車以上にいかついスキンヘッドの兄さんで・・・
あ、もちろん真夜中なのにサングラスして・・・・

私らを一睨みしてコンビニの中へ。
ほどなくして出て来て、車に戻ってなんかゴソゴソ探してるんだな。。

で、カツカツカツって私たちの前に!!!!!
んで、私の右隣り(Hロシ)の右隣りに座ってたTっちの額に懐から出した「モノ」をおもむろに突きつけたんです。



おいおい。「モノ」って聞いて今「チ○コ」だと思ったろう!?
アコさん。

何と「拳銃」!!!!!!!
んで、「チャキッ」って撃鉄上げたんよ。

その瞬間、ピザまん喰いかけたまま、時が止まっていたTっちの顔は一生忘れない。


いや。Tっちだけじゃない。
皆が凍り付いた。
一番困ってたのは私の右隣りのHロシだ。
その瞬間、Tっちを助けることより
「血ぃぃ!!血が飛んでくるぅぅぅ〜!!!」
と思ってたらしい。
ちょっと表現が悪かったか。。
「血ぃぃ!!血が飛んでくるぅぅぅ〜!!!」
としか思わなかったらしい。
とても友達思いの彼でさえそうなんだから、人間いざというときは何を考えるか分からない。



が!!
突如、兄さんが「ニコッ」と笑い、「ウソだよ!」と。。
で、「大垂水行って来たのか!?」と。
全員声を揃えて「ハっ、ハイッッ!!!!」と答えましたよね、そりゃあ。。
で、「気ぃつけて帰れよ!」と超笑顔で。
「あ、ありがとうざぁ〜〜〜っすm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m」と見送りますよね、そりゃあやっぱ。

何だったんだろう。
客観的に考えると、それなりにつっぱらかった奴らが要はからかわれた訳で、言わば「不名誉」な訳だが、何故か最終的には彼が良い人に思えてしまえたあたりが今でも不思議だ。。

だがTっちだけは違かった。
「オレ、ピザまん喰ってただけだぜ!?!?
 ピザまん喰ってただけなのによおおおおぉ〜〜〜っ!!!!!」
「なんか冷てえんだよ!!!あれ!!!!
 んで、重いの分かんだよ、何か。」
「超怖ええぇ〜ぞ!?マジで!!分かんか!?
 分かんね〜べ!?分かんね〜べ!?!?」

そりゃあ偽りのない本音だったろう。Tっち。

でもね・・・
必死に訴えていたが、私らにとっちゃあ既に笑い話だ。
しかし、彼の風貌やオーラから察するに「本物」だった可能性は拭えない。
ま、Hロシに血がかからなかったっちゅうことでヨシとしましょう。


気を取り直し、私たちのホーム。
津古久へと向かった・・・


更なる地獄が待ってるとも知らずに・・・・・・・


<続く>



追伸:山梨の匿名さん。
   大マジで良かったな!!
   十二月の安産を祈っておるよ!!
   改めておめでとう!!!

   安曇野市の匿名さん。
   お待ち頂きありがとう!!
   今度は横須賀で会いましょう!!!