2011年10月12日水曜日

初めての運動会。そしてトモダチが出来た

先週の土曜日は長女の幼稚園の運動会でした。

好天にも恵まれました。

お遊戯はAKBのヘビーローテーションだったのですが、いやあ。。
一番上手かったね、我が娘は(^-^)
ま、いつもの親バカですがね。

そそっかしく、忘れっぽいバカ娘がよくもまあ色々な事を覚えたものです。
言うまでもなく半ベソかきながら見てましたよ(T^T)

いや。


全ベソだったかも。。。???


リレーも頑張って走ってました!
私に似れば足が速いはずなのですが、まあ今はまだ能力が潜在している段階なのでしょう(^^;)
遅くはないけど速くもなかったかな??


え〜。
私も頑張りました!!
用具係を努めましたが、結構ハードでして、幼稚園職員並みに働きましたね。
その他にも親子競技系やPTAの綱引きやら、来賓参加のゲームまでかり出される始末。
でもそのお陰で先生やパパさん連中とも仲良くなれましたよ。

そんなこんなで長女にとっては初めての、私たちは親として初めての運動会を感動しつつ楽しく終えました。



運動会が終わった後、用具係のパパさんの一人が打ち上げを提案なさいまして。。
結局、夜に飲み屋で再集合し、皆ベロベロになるまで飲みました。
結構皆疲れてたからね。。
初・パパ友の会でしたよ。
なんか超面白かったですね。
みんな私と同じく親バカでありましたよ。

あとはどの先生が可愛いだの胸がでかいだの・・・
男ってなぜ必ずこうなるのか?

ミステリアスでございます。

2011年10月7日金曜日

悪くない

さて。

週末に向かう夜。


帰宅は22:30でした。
シャワーを浴び、庭でネコ二人と肩を並べて月を見ながらビールを飲んでおります。

悪かないね、この感じ。
まるで我が子のように可愛いです。
たまにニャーンと鳴き、寄り添ってくるぐらいですが、私が親代わりなのでしょう。
お母ニャンはかなり早くに育児放棄してましたからね。

元気に大きくなれよ、
お前らも。

私のルーツ

今日、経営者と面談をしました。

「あなた(私)は今、何がしたいのか?」と。

自分なりにいくつか、会社と自分の収入を増やす方策を話しましたよ。正直に。

あともうひとつ。
収入もへったくれも考えず、自分がしたい事は何かということも話しました。
自分でも驚くようなことを話したので、忘れないためにもここに書き記しておきます。

「難病で入院とか闘病している子供達のためだけのワーカーになりたい。」

そう言いました。



つい最近思い出したことがあります。

私が16歳のころ、事故って北里大学病院に入院してた頃の話ですが。


肺と肝臓を潰し、ICUに入ったあと、7日間の意識不明状態を経て救急救命病棟に移りました。

その後、片肺切除の可能性を含んだまま、幼稚園生〜小学生ばかりの学童病棟へ移されました。

周りは遠慮なくうるさいガキばかり。
自分は片肺を切除するかも分からず、一生運動も出来ないかも知れない状態。

正直な話、腐ってましたね。


そんなある日、母が私に言いました。
「あなたは幸せ者だねえ」と。

地元のナースである母はここがどういう病棟だか知っていたのです。
「あなたの周りにいる子供達は、明日が有るかも分からず北里に最後の望みを託して来た難病の子供達なんだよ」と。

「ここの子供達に比べて、あんたは何て幸せなんだろうね。
しかも好きなバイクで事故って自業自得じゃあないか!?」と。


その言葉が酷く応えました。


それまで鬱陶しいと思っていた子供達が翌日からどうしようも無く可愛く思えたのを、今でも思い出します。


特にジュン君という子。
すごく私を慕ってくれてたな。

何の病気だったのだろう?
今、私が住んでいるあたりにその子も住んでいたのです。

元気なのだろうか?


私はそもそも、ソーシャルワーカーになりたかったのです。
そのルーツは恐らく、学童病棟で感じた想いなのでしょう。

でも、今は不思議と「ルーツ」から遠ざかって仕事をしている感じはありません。
今の仕事だから近づけるものがあるのでしょう、きっと。

今日の議論の中で、革新的なアイディアがかなり生まれました。
実現できれば、病児の精神的ケアにもかなり役立つものと思います。
具体的内容は企業秘密ですが。。


自分自身に期待することは
「世の役に立つ人になる」ことですね。


かつて学童病棟で時間を共にした子供達が今どうしているのか?
恐らくは、悲しい結果に至ってしまった子もいるでしょう。
でも病気を克服して逞しく生きている子も居るかもしれない。

その皆のためにも兄貴格であった私は頑張らなくてはな。

回顧録〜お伊勢参り〜

最終日となった24日(土)は古式に則り、伊勢神宮の外宮に参り、その後内宮に参りました。

「神々しい」とはああいう景色のことを言うのですね。
日本の総氏神様が鎮座するに相応しい景色の数々でした。
純粋に感動しましたね。

かなり歩きましたが、ガキ共もよく頑張って一緒に歩きました。

午前中に参拝を終えて、鳥羽の港へ向かい、フェリーで帰りました。
伊勢湾をぐる〜〜〜っと回って帰るのが精神衛生上良くない気がしましてね(^^;)
割高ではありますが、フェリーでショートカットして帰りましたよ。
1時間弱ではありましたが、船旅も良いものです。

渥美半島に船は着き、磐田まで下道で走り、そこから高速に乗って20時頃帰宅。。

長い旅でした。
疲れましたが、今まで見た事の無い景色の数々に感動できた旅でしたね。


ところが、、、
帰宅翌日、長女が39℃台の熱発。
チビ共もその翌日から同様の熱発。。

旅の仕上げに皆して手足口病を発症しましたよ。

幸い症状はすぐ治まったから良かったものの、旅の疲れも癒えぬうちにバタバタと大変でした。


もう2週間程前の話ではありますが、未だに初日の疲れを引きずっている気がしますね(^^;)
歳なのかな??

<終わり>



2011年10月6日木曜日

回顧録〜丹後から伊勢へ〜

地獄のような往路を経て丹後へ辿り着いた翌日は、最大の目的であるお墓参りを朝のうちに済ませ、京都市内を経由して伊勢へ向かいました。

前日の苦労がウソのようにすんなりと進みましたね。
京都市内ではカミさんたっての希望で伏見稲荷に寄り、参拝して境内を散策してきました。
小さい頃から京都にはよく行ってますが、伏見稲荷は初でしたね。
まるで異次元に迷い込んだような不思議な光景の数々でした。

夕方に京都を後にし、3時間程走って無事伊勢に辿り着きました。
翌朝はこれまた人生初のお伊勢参りです。

<たぶん最終回であろう次回に続く>

2011年10月4日火曜日

回顧録〜東海道五十三次〜


厚木から東名に乗った訳ですが、
「厚木~秦野中井 渋滞 70分」と。

秦野まで246で行けば良かったかな~と若干、いや、かなり後悔しつつ進みました。
厚木から5分走ったぐらいでしょうか?
渋滞開始です。

しかも、全く動かない渋滞。
70分どころか全く動かない状態が改善されるのに3時間掛かりましたよ。

高速道路上の同じ所に3時間。。
かなり貴重な経験でしたね。
皆、車を降りたり乗ったり。
立っションしたりストレッチしたり、路側帯でゴルフの素振りしてる人まで居ましたよ。

そんなこんなで3時間が過ぎ、突然渋滞が解消されたのです。

道に出てた人は慌てて車に飛び乗り、いきなりフルアクセルですよ。
寝てしまった人もかなり居て、そういう車がかなり危険な障害物と化してました。

結論から申し上げますと、普通に流れるようになったのは正午過ぎの由比から。
上記のようなタチの悪い渋滞を5〜6度繰り返し、120km進むのに12時間掛かりました。
人生最大かつ最悪の渋滞であり、午前中に京都着など、とんでもない夢のような話と化しました。

静岡から先は台風の名残りの強風が吹き荒んではいたものの順調に進みました。
新名神の三重に入ってから5kmくらいの渋滞がありましたが、屁でも無かったですよ。


私、渋滞にハマると極度に精神状態が悪化する悪癖があったのですが、今回は良い性格矯正になりましたよ。

かくして京都は丹後に21時頃に無事、21時間をかけて到着し、プレモルを2本飲んで泥のように眠りましたzzz.....



<もう終わりにしたいが 続く>

2011年10月1日土曜日

回顧録〜いざ京都へ〜

新宿で1時間程足止めを喰らったあと、電車はノロノロと動き出し、いつもの倍以上かかって多摩川越えた向ケ丘遊園へ。
ここでアナウンスが入り、何でも多摩川橋梁上の風速計が35m/秒を越えたと。。
そこ行っちゃうと安全規定上、運行出来ないため再び全線運休しなきゃあならないんだと。

3時間待ちましたね、向ケ丘で。
電車内で急病人が出たり、先の線路で倒木があったりして、向ケ丘から先は超徐行と停車の繰り返し。
結局、帰宅は23時。
9時間半かけての帰宅でした。。

22時には京都へ向けて出発しようと思ってたのに、帰宅時点で1時間オーバー。。

急いで支度して、出発したのが23:30。
それでも翌日の午前中には着けるかな?と思っていたのですよ。


その時の私はね。。。


この先どれだけの困難が待ち構えているか知る由も無くね、、、